人間関係の変化は自然な事
こんにちは〜サカナコッコです♪
ご覧いただきありがとうございます。
今回は友達との関係性について書きたいと思います。
私は数年前から生活環境が大きく変わり、同時に人間関係もかなり変化しました。
前までつるんでいた友達とはだんだん疎遠になり、
本当に気の合う友達とだけ連絡を取り合っています。
同時に新しい環境で新しい知り合いが増えました。
私は環境の変化と同時になかば強制的に人間関係も変化せざるを得ない状況になりましたが、
もしそんなきっかけがなくとも、付き合う人たちが変化したり縁が切れたり疎遠になったり、これはとっても自然な事だなと感じます。
友達大事にしなくちゃと思って
人との関係でがんじがらめになってしんどくなっていたり
抜け出せないと感じている人もけっこういるんだろうなーと思います。
周りのそんな話を聞いていると、そんなに嫌なら離れればいいし、嫌われてもいいし、嫌ってもいいのに、なんで極限まで我慢しようとするんだろうと思います。
でも、この悩みが自分事になった途端にけっこう慌てます。
なぜか離れられないような、突き放してはいけないような、罪悪感が出てきたりします。
でもよーーく考えてみるとけっこうシンプルに解決します。
じゃあ自分はどうしたいのか?
これだけです。
友達に対して少し距離を置こうとした時に出てくる謎の罪悪感。
何に対する罪悪感なのか?
罪悪感なんて感じる必要あるのか?
改めて考えてみるととっても疑問です。
友達は永遠に大切に、優しくしましょう。みたいな教えが刷り込まれていませんか?
よく考えてみると一人でいる方が楽しかったり。気楽だったり。
一緒に楽しい時を過ごすのが友達なのに、大きな悩みの種になってしまったら残念ですよね。
人間関係はもっと軽く、自然でいいと思います。
今、好きだと感じる人と過ごせばいいし、
違和感を感じるなら離れてみてもいいし、
(傍若無人に無視したり、相手を傷つけていいという話ではありません)
もっと自分の思うままに変化していく事は悪いことでしょうか?
ぜんぜん悪くない!
というか、良い悪いという概念は存在しません。
そこにあるのは居心地がいいのかどうかという事だけ。
人の愚痴を聞いていると
〇〇さんに〇〇と言われた。
無視された。こうしろって言われた。
などなど他人軸のオンパレードで、いつまで聞いても自分はこうしたいからこうする!という判断をしていないことに気が付きます。
相手にされた事言われた事をいつまでも繰り返し脳内でリピートして、その先の自分はどう感じて、どういう行動がしたいか。という所まで思考が行き着きません。
そして嫌なことを感じ続けて、また同じような出来事を引き寄せてしまうのです。
出来事は全て、自分の観念を変えるきっかけとして使えばいいだけなのです。
嫌な事が起こって、それに対して起こった感情を感じきる。そして観念を書き換えてポジティブな感情にもっていく。
そうするとその観念を変えるために起きていた出来事は身の回りで無くなっていきます。
ついでにそのネガティブな観念を教えてくれていた「自分にとっての嫌な人」もフェードアウトしていくか、「自分にとってめっちゃいい人」に変化したりするわけです。
ここで注意することは、人を変える事はできないという事。
いくら相手をコントロールして自分にとって心地よい人間に変えようとしても変わりません。むしろ無理が生じて余計にこじれてしまいます。
ちなみに相手を正しい道に導いてあげよう・間違いを教えてあげよう、とかも相手をコントロールしようとするになります。
自分の観念を書き換える事ができて、やっと相手が変わるのです。
厳密に言うと相手は変わっていなくても、自分の観念が書き換わっているので見え方、感じ方が違ってくるという仕組みです。
だから自分の観念が変わると同時に、人間関係に変化があったり、今まで心地良かった関係に違和感を感じたり…
変化するという事は、とっても自然な事なんです。
こちらもぜひご覧ください。
何かの参考になればと思います。
読んで頂きありがとうございます。
ではまた〜
押して頂くと励みになります♪